つなかんの歴史

唐桑御殿つなかんは、
この地で100年続く牡蠣の養殖業者「盛屋水産」の女将だった菅野一代が
2013年10月に始めた民宿です。

もともと菅野家の自宅だったつなかんは、東日本大震災の津波により被災しました。
家屋の3階まで津波の被害を受け全壊となりましたが、流失はまぬがれたため、
2011年8月、家の中もまだ泥まみれの時期に、
「寝袋で雨風をしのげればいいので」と、学生ボランティアさんたちが寝泊りをし始めました。
その数は約10ヶ月で延べ1000人を超えることになりました。
このことをきっかけに、一代は自宅を宿泊施設にする構想を練り始めました。

人が来て、町がよみがえる。笑顔で人も明るくなる。
町のおばぁたちも元気をもらっているのを感じ、
「町に人を呼べる事をはじめよう」と、
この地の名産である牡蠣やほたてを提供する民宿を始めることを決意しました。
そこから「つなぎ牡蠣ファンド」をはじめ、多くの方々の支援により、
つなかんをスタートすることができました。

つなかんの名前の由来は、英語のtunaと菅野のkanから来ています。
鮪立(しびたち)の「鮪(まぐろ)」を英語にするとtuna(つな)。
そして、菅野一代(かんの いちよ)が始めた民宿。
鮪立の「つな」
菅野の「かん」。
そのふたつを合わせて、ここは「つなかん」と呼ばれるようになりました。

震災当時からの復興については、ほぼ日刊イトイ新聞の「牡蠣の一代さん。」などでご紹介いただきました。
写真家の池田晶紀さんが2012年の気仙沼を撮った「イケ坊のみた気仙沼の写真」でも、
当時の唐桑の風景や、つなかんが始まる前の様子を見ることができます。

つなかんオープンから3年半が経とうとしていた2017年3月23日、
「盛屋水産」の船「第1信盛丸」が転覆事故を起こしました。
一代の夫である和享、三女の夫が行方不明に、長女が亡くなりました。
唐桑に嫁ぎ、初めて経験した海の仕事に覚悟を決め、
これまでやってきた思い出のいっぱいつまった養殖業でしたが、廃業することに決めました。
そして、民宿つなかんも新しい体制を組むことになり、数か月のお休みをいただくこととなりました。
みなさまにご迷惑とご心配をおかけいたしましたことを、深くお詫び申し上げます。
また、多くの方々よりあたたかいお声がけをいただき、たいへん励みになりました。
ありがとうございます。
これからも、前を向いて進んでいく所存です。みなさま、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

つなかんの日々の歩みはFacebookで更新しています。どうぞご覧ください。