【学生の僕が、震災から5年経った今も、唐桑へ通う理由。】



「人と人の輪が広がる、私はそれが面白い。」

2016年、7月  大町 昴平


初めて唐桑に足を運んだのは2013年6月。大学1年の時だ。

初めは大学のボランティアセンター経由で入ったのがキッカケで、まちあるきという地域の魅力を再発見する活動に参加していた。

その時に、地域づくりサークル「からくわ丸※」と出会う。

※からくわ丸…「唐桑をひとつに唐桑を色どる」をコンセプトに20代、30代の若者で構成される地域づくりサークル。現在は畑プロジェクトなどを中心に地域の子ども達に昔ながらの唐桑ライフスタイルの伝承活動を行う。

唐桑に通い始めて、3年。牡蠣に命を燃やす漁師。震災復興からまちづくりへと奮闘する移住者。まちのためにと一生懸命に活動するからくわ丸の若者。彼らに惚れ込み、一緒に活動したいと想いがあるのも通い続ける理由の一つ。

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そして、活動を続けると知り合いもどんどん増えていく。
人と人の輪が広がる、私はそれが面白い。

唐桑で出会った人が東京で一緒にイベント企画をしたり。
イベントで出会った人が、昔唐桑に通っていたり。
東京で出会った人が唐桑で酒を飲んでいたり。
この不思議な連鎖をキッカケが唐桑。唐桑に行けば、新たな出会いがあるのではないか。
そんな期待を胸に秘めながら、新たな刺激を求めて唐桑に通い続けている。

 

今回、私がつなかんを利用したのは、東北食べる通信の高橋編集長と漁師さんとの懇親会を開催するためだ。高橋さんとの出会いは2015年6月。大学の講義がキッカケだった。

「今度、全国の生産者の声を集めたウェブメディアを立ち上げるので一緒にやらないか」と声をかけられた。当時、私は(からくわ丸学生部隊として、)東京に漁師さんを呼び、物産展などを行なっていた。「唐桑の牡蠣を質を高め、ブランドとして全国の人に食べてもらいたい」という漁師の想いを多くの人に知ってもらいたい。漁師に食べる人を顔を知って欲しいとの想いがあった。編集長からこの話を貰った時、すぐに唐桑の漁師が頭に浮かんだ。返事は「イエス」だった。

ずっと編集部の活動を続けていたが、高橋さんと唐桑の漁師が会ったことは無かった。

(高橋さんは今回が2回目の唐桑訪問)

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(左 高橋編集長、右 唐桑の漁師,やっくん)

 

漁師が現場で奮闘する。高橋さんがそれを多くの人に拡散する。お互いの長所が重なり、新たにコラボレーションが生まれた事が嬉しかった。

 

つなかんにて〜いろんな人が交わる不思議な空間〜

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女将の一代さんと高橋編集長

 

「昨日、高橋さんたちにはオーソドックスな料理を出したので、今晩の料理は遊んでみた。」と話すのは料理長のりょうすけさん。

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(帆立の酢漬けとトウモロコシの擦り流し)

 

一手間加えた料理に、一同絶賛!!!うに、ホタテ、牡蠣。どれも美味い^^

ガンガンお酒が進む。

 

途中から地元の漁協の方とやっさん(女将の旦那さん)が登場。そのまま合流して懇親会は大盛り上がり。

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盛り上がって来た所で、「じいじ、孫を風呂にいれてあげて〜」と一代さん。最初は渋っていたやっさんだが、「仕方ねえな〜」嬉しそうにお風呂へと向かった。

とても幸せそうだ。

訪れた人みんなが家族になれるような場所、つなかん。旅人、地元の人、移住者、漁師。いろんな人が交わる不思議な空間。一度、足を運び、家と女将と料理に惚れちゃってください。?

 

 

 

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