あの時の、ミニスカサンタが結婚した。



 

僕は、はじめて、結婚披露宴で、泣いた。

 

今日は、日々の出来事を書いた。ふつうの日々のひとつだけど、僕にとっては、特別な出来事で、そして、それは、震災から5年経った唐桑の、シンボリックな1日だった。

 

 

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友だちの結婚披露宴に、いちよさんと、やっさんと一緒に招待された。奈良から、つなかんがある唐桑に移住した、女の子サチと、唐桑産まれの消防士ユウスケ、ふたりの披露宴。

2011年9月、大学一年のサチは、震災復興ボランティアで、唐桑に訪れる。それから、ほぼ毎月、多い時は半月ちかく滞在しながら、泥かきなどの、ボランティアのために、唐桑に通った。翌年、2012年3月、二人は出会い、自然と付き合うようになる。大学4年間、同じようなペースで、唐桑に通いながら、就職先として選んだ、警察官になるための試験には、落ちた。唐桑で知り合い、先に移住していた、兵庫出身のたくまに誘われ、彼女は、唐桑に移住し、今年結婚した。

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つまり、ユウスケと一緒にいたいという理由だけで、唐桑に来たわけではない。縁があって、呼ばれた。海とか、人とか、わかめとか、が好きで、その中にいるユウスケも、好きだった。そのおかげで、気仙沼市内で挙げた結婚式には、いちよさんたちをはじめ、唐桑の漁師さんや、ふつうのおじさん、この5年で、ふたりがお世話になった、唐桑の人たちが、たくさん来ていた。

 

僕は、ふたりの結婚披露宴で、泣いた。

 

サチに、密かな想いを寄せていたわけでもないし、小さい頃からの幼馴染でもないし、ユウスケと同じ部活動で、一緒に活動を共にした同志でもない。たまに、つなかんのお皿洗いとかを手伝ってくれたり、ごはん会をしたり、焼肉に行ったり、僕の恋のアシストを頼んだのに、なんにもしてくれなかったり。そういうことがあるくらいの仲で、新郎新婦とは、たまたま、ここで出会って、たまたま気が合う友だちのような関係。だから、泣く理由なんてないと思っていた。そんなふたりの結婚披露宴で、しかも、すごく序盤に泣いてしまった。14956442_872778462859284_3786439854014414927_n

 

ばれないように、耐えていたけど「りょうすけ、もう泣いてるわ」隣にいた、やっさんに笑われて、もういいやと思って、思い切り泣いた。

 

披露宴開始、新郎新婦入場、挨拶からの乾杯、ご歓談、そして新郎新婦のお色直し。

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ごくふつうの披露宴。お色直しの時間によくある、新郎新婦の子ども時代のこと、ふたりの出会いを経て、結婚するに至るまでのエピソード DVD。「はやく終わらないかな」と、今までどおりにそう思って見ていた、ありきたりのDVD、、、のはずだった。

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僕たちの隣のテーブルに座っている、かずまるさん、馬場さん、吉野さん、ヤスヒコさんたち。

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同じ席のいちよさん、やっさん。この方達は、震災直後、当時、金髪だったサチと、ユウスケよりも前に知り合い、「気仙沼では、俺がサチの親だ!!」と、それぞれが思っているような、気仙沼人だ。

 

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「馬場さん、見て!!いま写ってるよ、ほら、馬場さん!!」「あ、いない!!え?なんで今、トイレ行くかねぇ!!」とか言いながら、自分たちが写っているそのDVDを、もうなんか、天使のような笑顔で見つめていた。そんな「気仙沼の親」たちを見ていたら、もうダメだった。(馬場さんは、癌の摘出手術で入院して、来れるか、来られないか、わからないような状態から、退院して、披露宴の三本締め挨拶という大役を、無事に果たせたのも、グッときた。でも、三本締めの前に歌い出したのは、面白かった。)

 

 

 

 

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あの震災からの日々を、会場のみんなが、こんなにも肯定できたことって、ないんじゃないか。少なくとも、僕にとっては、はじめてだった。震災があって、家族を失った人も、家を流された人も、今でも仮設住宅に住んでいる人も来ている中で。

この日の空のように(ほんとうに、そんな空だった)、一点の曇りもなく「ほんっとに大変だったけどさぁ、でも、あの震災がきっかけで、サチが唐桑に来てくれたこと、ふたりが出会えたこと、結婚すること。それはもう大きな声で、おめでとう、そして、ありがとう、と言えるよね。」

みんなが、そういう顔をしていた。

 

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「おめでとう」は、言われる方も、言う方も、嬉しい。唐桑で「おめでとう」を言う相手が増えて良かった。震災があったからこその出会いを、外から来たサチのことを、被災した人たちが、心から祝福できること。5年というみんなの日々の結果が、この1日につながっていると思ったら、それが、自分でもどういう感情なのか、わからないけれど、すげー泣けてきた。

 

他人のことを、ふつうに祝福できる時間はあるようで、なかなか、ない。
みんな、この5年は息抜きもせず、頑張ってるような状態で(まぁ、これからもそうだろうけれど。)。「あー!うちらよく頑張ったねー!ここまで、やっと、来たね。」とかではなく、ふつうに、結婚とか、赤ちゃんが産まれた、とか。そんなライフストーリーのなかで、がんばったね、ではなく、「おめでとう!!」と言い合えるのは、それだけで、贅沢な時間だった。

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それは、サチたち移住者(pen,turnと呼ばれている。というか、自らのことをそう呼んでいる。)が、5年間、唐桑で、唐桑の人たちと、明るく、元気に暮らしてきた、日々の結果でもあって。彼女たちなりに「住んでいる町がこうなったらいいな!」という気持ちがあって、ここにいる。

 

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5年前の彼女たちに「あの頃の未来に、僕らは立っているのかな?」と聞かれたら、「うん、立っているよ」と胸を張って答えられるような1日で、なんだか、いろいろ、報われた気がした。

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糸井重里/ぽてんしゃる より)

2011年に、ミニスカサンタだった子が、結婚したり、恋愛したり、おじさんや、おじいさんによろこばれたりしながら、今でも、ここで尊い日々を過ごしている。

さちを唐桑に誘った、たくま(彼とも震災がなければ、出会わなかった)が、サチの友人代表として、挨拶をした。

 

 

「僕には、夢があります。」と。

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(左 たくま、右 漁師のやっくん

たくまは、アツい男だから(最近事業構想のプレゼンも終わったところだし)、また得意の、まちづくりの話をするのかと思った。

 

夢の続きはこうだった。

 

「僕、さちとゆうすけにも、子どもが産まれて、一緒に、子どもの運動会に行ったり、PTAに参加したいんですよ。それで、10年、20年後も、唐桑で生きていきたいんです。それが、、、僕の夢です。」

 

暮らしと地続きのたくまの夢には、説得力があった。ただただ、かっこよかった。

 

 

家族、友人、会社の同僚でもなく、「同じ地域に生きる人」が、たくさん参加していた披露宴は、とても、居心地がよかった。

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サチ、ユウスケ。呼んでくれて、ありがとう。また、おいしいもの、食べに行こう。

 

 

おわりに。

お知らせでも、ニュースでもないことを、ここに書いたのは、「今の唐桑」とっても面白いですよ。ということが、少しでも伝わればいいな、と思ったからです。

復興関係のニュースとかだと、まぁ「ニュース」になるくらいだから、頑張っている人とか、まだ大変な人とか、すごく前向きな人とかが映ってます。すべての時間がそういうドラマチックな日々を過ごしているかというと、そうでもなくて。悲しそうに映っている人だって、365日悲しみに明け暮れているわけでは、ないと思います。

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悲しいだけじゃなく、一生懸命なだけじゃなく、ふつうのことで、笑ったり、してます。

 

被災地に移住した若者たちも、ただ、なんとなく縁があったり、海が好きになったりした人たちです。

 

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「あー、地元帰りてーなぁ」
「今日、めっちゃ二日酔いだわ。」
「結婚秒読みとか思われてるけど、まだ、結婚する気ないんだけど!」
「カフェのお姉さん、今日もかわいいわぁ、ぜんっぜんデートしてくれないけど!!」
とか思っています。

 

「ずっといたい気持ち」「帰りたい気持ち」「旅にでたい気持ち」、いろんな気持ちを持ちながら、矛盾を抱えながら生きている、聖人でも、変人でもなく、ふつうの人です。
ただ、ちょっとだけ、ここに縁があって、飛び込む勇気があっただけ。

「ほんとうは、それだけじゃないのにな」と思う、ニュースじゃ伝わらない、絶賛復興中の、東北でのLifeがあって。ふたりの披露宴はまさに、その象徴でした。

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「百聞は一見に如かず」というのは、誰かのフィルターを通して、聞く景色ではなくて、
ほんとうにある、この景色を見て、匂いを嗅いで、ここにいる人たちはどんな気持ちで暮らしているんだろう。そういうことを、自分で感じた方が、色々いいんじゃないか?
素晴らしいのか、そうでもないのか、自分で判断すればいいんじゃないか?と
そういうことなんだと思います。
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ということで、まだ、東北に来たことがない人も、行く機会がないからなぁと思っている方も、ぜひ気仙沼に遊びに来てください。少々、強引な結びになりましたが民宿のブログなので、「気仙沼に、おいでよ。」ということばで、終わろうと思います。ではまた、気仙沼で。

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