東北食べる通信 編集長 高橋博之(2016年8月)
「被災地に咲いた希望の花」
東日本大震災から5年が経ち、東北の復興に関わってきた人間たちの間で、復興コミュニティになるものができあがっています。
直接の知り合いではなくとも、人づてにその存在を知っていたりすることがよくあるわけですが、それにしても、この名前を何度耳にしたことでしょうか。
「つなかん、、、。」
それは、どうやら宮城県気仙沼市唐桑町にある一風変わった宿のことのようでした。そうして、みな口々に伝えるのが、この宿の名物女将のことでした。なんでも太陽のような人だとか。
遅ればせながら、先月、ようやく「つなかん」に泊まることになりました。
山形県の山奥から車を走らせ、途中寄り道したりして、宿にたどり着いたのは、日が暮れて少ししたころでした。
駐車場と思わしきところに車を寄せていると、玄関から勢い良く現れたのが、その女将さんでした。満面の笑みと甲高い大きな声に、のっけから面喰らった私。なんと明るい人なんだろう。さっき沈んだ太陽が逆戻りしてきたかのような、評判通りの陽気な女性だったのです。同じ岩手県出身ということが判明し、電光石火で意気投合。
私の名前は博之なんですが、年甲斐もなく「ひろりん」と呼ばれる羽目になったのでした。ここは宿というよりは、家と呼ぶのにふさわしい空気感でした。なんだか帰省した実家で寝っ転がってテレビを見る、あんな感じがするんです。久しぶりだから適度に気を使いながらも、素顔のままでいられる、そうあの程よい距離感。
夕食は居間の掘りごたつにて。すでに先客がほろ酔いしていました。初対面なのに、女将さんの仲介ですぐに打ち解ける私たち。これも女将さんマジックのひとつか。彼らもまた、帰省先の実家でくつろぎながら、親に近況を報告する子どものように女将さんと語り合っていました。
そして、そこに運ばれてくる料理がまた素敵すぎました。食材は、女将さんの旦那様の漁師が、目の前の海で育てた牡蠣や採ってきたウニ。
(翌日、一緒にウニを筏まで撮りに行きました。毎食、海からあげてきています。)
これに、東京で腕を磨いてきたプロの料理人が田舎離れした手間を加えると、見事な創作料理に変身するわけです。
(Instagram #つなかんごはん)
その若い料理人、なんでも旅中にたまたま「つなかん」に立ち寄ったら、女将さんに見初められたらしく、そのまま拉致されたとか、されてないとか。そうして、気づけば「つなかん」に住み着き、厨房を任されることになったといいます。
(写真 左 料理長 今井竜介)
ここに宿泊するお客さんは、多くがリピーターです。なるほど。この女将さんに接していると、どんどんこっちの気持ちが「ぬぐだまっていぐ(あたたかくになっていく)」。なんかですね、意味もなく元気になっていくんです。
多少、強引なところもあるんですが、まるで嫌な感じがしない。女将さんはよくしゃべり、人の話をよく聞きます。つなかんは女将さんを中心とする唐桑のコアな復興コミュニティであることがよくわかりました。
夜が更けるにつれ、掘りごたつを囲む人の数はどんどん増えていきました。女将さんの家族、地元の若者、そして唐桑に住み着いた若者たち、それに唐桑好きのリピーターであるお客さんたちが混ざる。
酒と、笑いと、会話が常に絶えないこの団らんの場は、懐かしさを感じさせると共に、ここから何か新しいものが生まれるんじゃないかというワクワクした気持ちに、私をさせました。
〜地方と都市をかきまぜる〜
最後に、少しうんちくを語らせてください。つなかん体験を経て、私が感じたこと、考えたことです。
自分と他人、自分の地域、自分と自然、自分と古(いにしえ)のつながりの中で人間らしく生きる暮らしを守り続けてきた唐桑の人々。その暮らしが震災で一度は壊滅したけれども、その結果というか、そのことによって、逆にその暮らしが持つ価値が浮き上がってきました。の被災地もそうです。
その価値に共感したのが、都市からボランティアにやってきた若者たちでした。
(2011年、つなかん前にて。学生ボランティアたち)
その価値は、すでに都市が喪失してしまったものだっただけに、彼らに刺さったのだと思います。私も刺さった人間のひとりです。
(真ん中 高橋さん。2012年。宮城県、奥松島にて。復興支援に来た兵庫県の高校生と。)
希薄な人間関係と冷徹な損得勘定が幅をきかせる都市の暮らしに磨耗した人たちは、まるで被災地で自らの「人間」を復興させていくかのようでもありました。こうした都市住民が被災地の漁村の価値に共感し、地元住民たちと一緒に新しい地域づくりに参加していく。
(唐桑の移住者が始めたプロジェクト。「漁師、かっこいい!私もなりたい!」と子どもたちに思ってもらえる漁師体験プロジェクトをはじめています。)
地元住民は活力と新しいアイディアを都市住民からもらい、都市住民は生きる力と心の安寧を地元住民からもらう。そんな連帯の関係性を都市と地方の間で日頃から結ぶことができたら、両方が今よりもっと元気に、今よりもっと幸せになるんじゃないだろうか。
(左から、東京の大学生、唐桑への移住女子、高橋博之さん。これからのことについて語る。)
地方の農漁村も、地縁血縁に頼っているだけではジリ貧です。都市と地方がかきまざり、価値で結びついた都市住民と農漁村の地元住民が一緒になって地図上にないコミュニティを創造していく。そんなことを私はこれまで目指す社会の姿として語ってきましたが、唐桑ではそのことが現実のものとなりつつあり、「つなかん」はそのシンボル的存在でした。
私は内心、自分の考えていたことが間違いじゃなかったと、ほくそ笑みました。「つなかん」は、被災地に咲いた希望の花だと思いました。
おわり。
この度、感想を書いて頂いた高橋さんが、8月に本を出しました。
「都市と地方をかきまぜる」。
「食べる通信」を通じて得たもの、目指す社会について、熱く書かれています。ぜひお読んでみてください。
高橋さんが編集長を務める「東北食べる通信」。
旬の食材1種類と、その特集8ページの新聞をセットに、毎月発行している食材つきの情報誌です。今回、つなかんを利用していただいたのは、8月号の「メカジキ特集」をつくるためでした。8月号、つなかんに置いてあるので、お越しの際はぜひ読んでみてください。