一周ぐるっと自己紹介が終わり、自然とみんなの視線は一代さんに集まった。
「はい!私も自己紹介します!」
その視線に応えるように勢いよく一代さんが立ち上がったので、笑いが起きた。
「菅野一代、出身は岩手県久慈です!」
まるで学生のようにテンプレートどおりに始まったもんだから、またひと笑い起きる。
「22のとき唐桑に嫁いできて、それから30年、毎日牡蠣を剥いてきました」
22だったんだ、若い…!と女子たちがざわつく。
「それが嫌で、じいちゃんとしょっちゅうケンカしてました!そんなときはご先祖サマに愚痴を聞いてもらってました」
うん、うん。
「でも、2011年、大津波で何もかも流れちゃいました。そんなときに、みんなに救われました」
眼が赤くなっていった。一代さんも、みんなも。
次の一文が怖くて。言いたくなくて、聞きたくなくて。
「みなさんのおかげで、6年かけて再起したんですが、今年の3月に、海の事故で最愛のだんなと娘、息子が帰らぬ人となりました」
「本当に辛くて、しんどくて」
ポロポロこぼれる涙は、やがてボロボロ溢れてきて。
「なんで今日、やっさんがいないんだろう」
「私は、みんなに救われたから、今度は私たちがみんなを手助けしてあげたいって思って。それで『つなかん』を始めたんだけど、また…」
「また、こうやってみんなに助けてもらってる自分がいて。今度は私が助けようって思ったのにね。ごめんね」
正直これからが不安いっぱいだと言うこと、でも徐々に前に進んでいる自分がいること。途切れながらも思いのたけを吐き出して、一代さんは涙目をニコっとして少しすっきりした表情をした。
「本当にありがとうございます」
涙をぬぐいながらの手で拍手が起きた。
私はとてもじゃないけどお膳に手がつかず、玄関の外でたばこに火をつける。何本も吸った。
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震災の年の夏、日本財団学生ボランティアセンターGakuvo『ながぐつ』プロジェクトの大学生ボランティアを、一代さんの被災した自宅に受け入れたのが「つなかん」のはじまりだった。
まだ1階の天井も抜けてて、津波の被災家屋だったころ。学生たちは代わる代わるやってきてはわいわい自炊して雑魚寝をする。それをまるで寮母のように、もしくは我が子のように見守る役が一代さんであり、やっさんだった。
「この子たちがね、将来社会人になっても帰って来れるよう、私はここを民宿にする!」一代さんがそんな突拍子もないことを言い出したのも、この学生たちがきっかけだった。
リピートする学生も多く、中には卒業後移住するメンバーも出てきた。
(かく言う筆者は当時大学生の現地受け入れ役をやっており、私もその後唐桑に移住、まちづくりサークル「からくわ丸」を立ち上げる。)
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リピーターの学生たちはそれぞれの道を進み、社会人になった。そして去年、つなかんに集まり盛大に同窓会を開いたのだった。そのときのやっさんの満足そうな静かなはにかみは忘れられない。
「また来年、集まろう」
そう約束して、今年の今日がやってきた。
当時の学生たちがぐるりと食卓を囲み、からくわ丸の地元の若者メンバーも徐々に集まりだした。
「しょうこが着いた!」
遅れて、一番遠くからの来訪者、福岡からしょうこが到着した。
立て続けに、到着したのはりょうたとさら夫婦だった。りょうたは私と一緒に当時学生のコーディネーターをやっていた男。支援活動の中、唐桑のさらと出会い、その後結婚した。
つなかんに久々にやってきたさらのお腹が大きくなってて、みんなも一代さんも大喜びした。
さらは実は「つなかん」の名付け親でもある。「じゃあ生まれてくる子の名前は『つな子』で決定だね」誰かがそう声高に提案して、笑いが起きる。
さらに立て続けに、りょうすけさんがやってきた。この春まで、つなかんの料理長を務めたりょうすけさんのサプライズの登場に一代さんは大興奮する。
「ちょっとー!ふみちゃん!まり!変な人が入ってきたよ!」
キッチンに届く大声を上げる。ふみちゃんとまりちゃんが駆けてくる。
「あーー!りょうすけだ!」
坊主になって帰ってきたりょうすけさんは終始恥ずかしそうな表情で、一代さんと対面する。
「東京で開いたつなかん展で、みんなから集めた笑顔の写真をアルバムにしたので、それを届けに来ました」
「もー、さっき泣いて、スッキリしちゃったから」涙はもう出ないはずだわ、と一代さん。
「ありがとうね」うん、うんと頷きながらアルバムをめくる。照れてるんだ。
からくわ丸からも再開を祝う花が贈られる。
「よし、みんなで集合写真を撮ろう」
興奮気味の空気のまま、みんなが三列に並ぶ。そこへ…
「あれ、おばんです」
いつもタイミングよく遅れて登場するのは漁師のやっくん。若手漁師のやっくんは、いつも差し入れでいっぱいのコンビニ袋を片手に登場する。
「やっくん!いつもタイミングがいいんだから!早くハマって!」
なんだ今日は。
夢でも見てるかのような。
日本中から当時のコアメンバーが集まってきた。
ここにいるひとりひとりが一人でも欠けていたら、つなかんはなかっただろう。
ここにいる人たちだけではない。
つなかんは一代さんとやっさんが2人だけでつくったもんじゃない。
だから、また歩こう。
みんなで歩けばいい。
夢のような集合写真のシャッターが切られ、拍手が起きた。
また泣くと思うけど、また泣いたらいいや、と思った。
一代さんの笑顔を見ながらそう思った。
唐桑御殿つなかん、再スタートです。
(加藤拓馬)