今日は、つかなんにも、ご縁がある、女性ふたりのブログを紹介します。おそらく同年代のおふたり。
それぞれの『私』にしか書けない、素晴らしいことばでした。読めてよかったです。
ひとりは、あべあいりさん。僕が、気仙沼に来た当時は、地元の高校生でした。まちづくりの活動や、東京から企業研修に来ている社会人に混じって活動をしていました。今は、関東に住んでいて『去年から3.11は地元に帰らないことにした。』と決めたそうです。震災直後の体験が、書いてあります。
『あと家を出たくない理由はもう一つ。「家や家族を亡くした知人に会った時にどうしていいか分からない」と思ったから。』
(あべあいり、今日だけは話したい より)
もうひとりは、みなみさん。広島から、1年間、唐桑にインターンで来ていた大学生。今月でインターンを終えて、帰って行きましたが、彼女が感じた、唐桑の魅力を伝えてくれています。
『「唐桑ってどんなところ?」って聞かれたら、
私はまず、「ここから社会が変わる、という予感のするところ。」って答えます。』
(Minami いってきます! より)
僕は、3月11日には、あかるいブログを書きました。僕自身は、あいりさんのように、大切な人を失ってもいないし、赤ちゃんのミルクが足りないような、生活もしなかった。だから、無理して悲しむのは、やめようと。
あと、つなかんで、いちよさんが伝えたいことは、『ここで、楽しく暮らしているよ』ということなので、震災のことには、一切触れずに書きました。
それでも、あいりさん含め、様々な人たちの力で、この場所でもう一度、人々が暮らせるようになったこと。
ここで、出会った、たくさんの魅力的な方々は、大切な仲間や家族を震災で失っていること。
こういうことも、改めて言葉にすることも大切だと、あいりさんのブログを読んで思いました。
慎んで哀悼の意を捧げます。
みなみさんのように「ここから社会が変わる、という予感のするところ。」と言えるというか、そういう体験を1年間したのも、あらためて、かっこいいなと思いました。住んでいる町を好きになることは、自分を好きになることだと、最近よく考えます。
例えば、同じ風景を見て『この場所なんにもないね』と思う人と、『宝の山じゃん!』と思う人がいて。『なんにもないね』と思ってると、自分にも他人にも『なんにもない奴だな』と思うだろうし。
『宝の山じゃん!』と思える人は、自分自身にも他人にも、『いいとこ、たくさんあるじゃん!!』と考えられるんだろうなと。どうせなら『宝の山じゃん!』と言いながら、暮らしたいです。